自己紹介③



前回は父からの過干渉や暴力(虐待)について
小学生の頃の記憶を辿りながら書きました。

今回はその後の続きを書いていきます。

過干渉については、主に父からのものが多かったですね。
例えば課外活動(水泳大会やクロスカントリースキーなどの練習)をしたいと思っても、
それを行うためには父の許可が必要でした。
習い事ではなく、放課後に希望者のみ行う練習なのでお金は一切かからないのにも関わらず、です。
そして答えはいつも「ダメだ」の一点張りでした。
「練習で疲れが溜まって風邪をひいたらどうするんだ」「わざわざやらなくたって運動も普通にできるんだからいいだろう」
などど、あれやこれやと理由をつけて父は私の意見を否定するのです。
母もそこに関してはずるいところがあって、
「お父さんが良いって言えば参加してもいいけど…」と判断を父に委ねるのでした。
母は、私の意見や要望が父に否定されることを知っていて、
自分としても乗り気でないことがあると全て父に判断させていました。

ここに“共依存”の関係が見えていますね。

共通しているのは、父も母も「自分が課外活動を娘にやらせたくない」ということと、
それをあたかも「娘(私)のためを思ってアドバイスしているんだ」と勘違いしているところです。
今考えると教育というよりただのモラルハラスメントだと思います。

しかも、父が「ダメだ」と言う理由は、建前上のもので
本心は“娘の帰宅が遅くなるのが不安”だったんじゃないかと今になれば分かってくることも多い。
私はそう感じていましたし、高校生の頃母に愚痴った時も同じようなことを言われました。

たしかに、時代の変化もあったので娘にもしものことがあったらどうしよう…と
心配するのは仕方のないことだと思います。

ただ、わたしの両親の場合は単純に心配だから、だけではなく
「娘(私)が、いつ、どこで、誰と、何をしていて、何時に帰って来るのか」を
執拗に知りたがりました。

そのため、同姓の友達の家に遊びに行く時でも、
必ず父の目の前で相手の友達の家に電話をかけ、
あらかじめスケジュールを電話口で確認させられてから(特に帰宅時間は厳守)
遊びに行かなければなりませんでした。
また、両親ともに家では私の友達の悪口を言うので、それが子ども心には
耐えられなかった。悲しかった。

私の友達を「バカ」だの「頭が足りない」だの「あの子はトロい」だの
散々言っていました。
きっと当時の父は、仕事もない身でしたので、そうやって他人を見下して快感を得るくらいしか
ストレスのはけ口が無かったのだと思います。でも。
25年経った今でもその当時のことを覚えているし、未だに許せないでいる私がいます。
どうして私は友達関係も父親に決められなければならなかったのか。
なんでも父の許可制だったおかげで習いごとなんて1つもやらせてもらえませんでした。
「お金がないから!」と両親に言われ、小さかった当時は納得する以外あり得なかったけれど、
今になってみれば「いや…父親働けよ…」としか思いません。


そして、そんな父親と夫婦をやってる母親にもまた、
離婚という選択肢はなさそうです。

まさしく“共依存”。

もはや娘の私でも断ち切れないほどに深い部分まで根っこが繋がっているようです…😭



なんだか長くなりそうですが、思い出した時につらつらと書いてアップしていくので
よろしくお願いしますね😊❤️